2014年9月3日水曜日

オイラが「たとえストーナーでもマルケスに勝てない」と思うただ一つの理由


ストーナーの自伝を読んでの紹介である。

ストーナーはものごころがつくころから
バイクに乗ってレースを始めた。

豪州では、14歳未満の子供が
アスファルトのコースを走ることを禁じており、
ストーナーは子供用のモトクロッサーで
ダートコースでレースをしていた。

のちにストーナー自身が語っているが、
ダートでのレース経験が豊富だったことから
ストーナーのライディングスタイルは
欧州ライダーに比べ独特なものになった。

しかし、一方で、14歳になるまで
アスファルトのコースを走れなかったため、
ブレーキを残したままコーナーに突っ込むテクニックにおいては
ストーナーは欧州ライダーに大きく劣っており、
これを克服するのに非常に長い時間を要したとのことだ。

おそらく、「速いけどコケる」
という初期のストーナーに対する周囲の評価は
ブレーキを残してコーナーに突っ込むテクニックが
周囲より劣っていたのが原因の一つだと思われる。

豪州キッズレースのタイトルを総なめにしたストーナーだが、
14歳になったときに、アホくさい政争に巻き込まれ
AJRRA(豪州ジュニアロードレース協会)により
ロードレースライセンスの発行を拒否されたことから
イギリスにわたり、その後とんとん拍子で
GPデビューを果たす。

だが、その先、GP125やGP250で
ストーナーがチャンピオンを取ることはなかった。

原因の一つは「速いけどコケる」ことにあったのだが、
ストーナーには、本人も気が付いていない
重大な欠点がもう一つだけあった。

コミュニケーション能力である。

子供のころも学校にはあまりなじめず
「友人はダートコースで得た。」
と言っていたストーナーは
体が小さいこともあり、
いじめっ子の標的になったこともあった。

しかし、「体が小さい」だけで
いじめっ子の標的にされることはない。

だいたいにおいて
いじめっ子とは、極めて卑怯な輩である。

クラスの中で、友人が少なく
助けてくれる仲間がいない人間を狙って
いじめをしかけるものだ。

そんなストーナーがGPデビューを果たした時、
彼の前に立ちはだかった(?)のは
チームのメカニックである。

独特なライディングスタイルを持ち、
データに表れない微細な違いまで感じ取る
ストーナーの言い分を、メカニックたちは理解できず
「ド新人が何を言う。データにはそんな兆候はねぇよ。」
と切り捨ててしまう。

豪州でレースをしていたときは
メカニックと言えば父親であった。

しかも、マシンは中古のオンボロバイクで
セッティングを出すとか出さないとかいうより
ストーナー個人の能力で速く走らせれば
それで表彰台の頂点に立つことができた。

だが、GPはそれほど甘い世界ではない。

中上が、国内GP125で優勝し
MotoGPアカデミーに合格してスペインに渡ったとき
語学の壁のせいで、言いたいことが言えず
非常に苦労したことでもわかるとおり
メカニックとの意思疎通は
レースを勝つための大前提とも言える。

しかも悪いことに「ド新人が・・・」
と言われ続けたストーナーは
人間不信に陥ってしまったようだ。

HRCの中本氏が
ストーナーとマルケスを比較して
「ストーナーは、基本的にこちらの言うことを聞かないが
 マルケスは、非常に丹念に耳を傾ける。その上で
 その意見を受け入れるかどうかを決める。」
と言っていたことにも、その影響が表れている。

HRCに移籍した時のストーナーは
もはや、かつての「ド新人」だとか、
「速いけどコケる」などという評価を脱し
「ロッシも手を焼いたドゥカティを乗りこなした唯一の男」
という、最高の評価を確立していた。

この時点で、ストーナーの言い分を
「お前が間違ってるんだよ!」
などと言える人間なんて、
地球上には誰もいなかったはずなのだが・・・

コミュニケーション能力に欠けるにもかかわらず
二度のワールドチャンピオンを獲得したストーナーは
あるいは、純粋に走る能力だけを比較すれば、
マルケスをも上回っていたかもしれない。

ネットでの書き込みを見ていると
「ストーナーとマルケスの対決を見たかった」
という声は、かなり大きい。

しかし、それでも、
「ストーナーであってもマルケスには勝てない。」
というオイラの結論が変わることはないだろう。


こういうストーナーの性格を考えると、GPの世界は、
彼にとって非常に生きにくい世界だったことは
容易に想像がつくというものだ。

27歳で電撃的に引退してしまったのも
無理からぬことのように思う。

今、オイラが言うことはただ一つ・・・・「お疲れ様、ストーナー」

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