2014年9月20日土曜日
あるバイク泥棒の歌/尾崎豊「15の夜」
♪盗んだバイクで走り出す~
というフレイズで、今も有名な「15の夜」
バイク乗りの間では
憎きバイク泥棒の歌、ということになっている。
歌の中身を、ばっさり切ってしまえば
第二次反抗期+自己のアイデンティティを見つけられない焦り
今のオイラのトシになってしまえば
反抗期なんてガラでもないし
自己のアイデンティティなんてモンは
勝手にでっち上げればよい、と分かってしまっている。
けれど、それを少年に求めるのは酷だ。
第二次反抗期というからには、
「15の夜」ならギリギリなんとかOKだが、
もし「20の夜」だったら、
「いつまでガキのままでいるんだ!」
と一喝されて終わりである。
もちろん「自己のアイデンティティを見つけられない」
という方は、夏目漱石の「三四郎」のテーマにもなっているので
別に20歳でも遅すぎることは無いけれど。
尾崎がこの歌を歌った頃は
バイクは反体制のシンボルでもあった。
だから、主人公はバイクに乗らなければならなかったし
しかも、盗まなければならなかった。
けれど、世間を汚い物でも見るような視線を送っていた自分が
実はもっとも汚い存在だった、というアイロニー。
・・・尾崎は、たぶん、そこまで考えてはいなかっただろうが。
ところで、今の若い人は尾崎の歌を聞いて
「この人は、なんでこんなに怒っているんですか?」
という感想を持つという。
オイラは別に尾崎のファンではなかったが
でも、こういう危なっかしい年齢というのは
誰でもが通る道だったのではなかったか?
それとも、近代になる前は
15か16になれば結婚して所帯をもっていたので
「危なっかしい年齢」なんて呑気なことなど
言ってられなかったのかもしれない。
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