2017年6月4日日曜日

クラッチローは八耐に参戦しないし、ホンダも本気では誘わない


ITATWAGP『クラッチロー断る:ホンダからの鈴鹿8耐オファー』

日本の二輪レースファンにとって
鈴鹿八耐は特別なレースです。

全日本チャンピオンよりも
八耐優勝者のほうが記憶に残る
と言っても過言ではないくらい。

ヘタすれば、MotoGPで
どのメーカーが勝ったかより
八耐で勝ったメーカーの方が
記憶に残る・・・なんてことも。

しかし、世界的に見れば
たかが耐久の1戦です。

かつて日本市場が
メーカーにとって重要だった頃は
GPライダーが八耐に参戦するのは
お約束事項でしたが、
今や、日本市場の重要性は激減。

たとえば、ホンダ二輪の国内売上高は
全世界の3.7%に過ぎません。(2016年)

わずか3.7%の売り上げのために
どこまで本気になりますか?
といえば、答えは明らかです。

マルケスやヴィニャーレスには
世界的な影響力のあるMotoGPで
しっかり勝ってもらうことが重要で
八耐「ごとき」で消耗したり、
万が一、怪我でもされたら大問題。

また、市街地の中にある鈴鹿は
加藤大二郎の事故以降
FIMの安全性向上要求に答えられず
グレードAの認定を受けられていません。

GPライダーにしても、
グレードBサーキットでのレースは
万が一を考えると御免こうむりたい。

さらに言うなら、かつて12~13戦ほどだったGPは
いまや18戦にまで増え、近い将来20戦にも増えるかも?
と言われており、GPライダーにとって
充分に休養を取ることは死活問題になっています。

去年、一昨年のエスパルガロ、スミスは
ロレンソの移籍が噂される中
「あわよくばワークスに移籍?」
という心境があったからこそ、というか、
その心境をヤマハが利用できたからこそ
参戦を実現できたと言えます。

クラッチローは、自分がワークスに移籍できるなんて、
露ほども思ってないので、そんな誘惑とも無縁です。

こういう事情を考えると
メーカーがワークスライダーとの契約に
「八耐参戦」条項を入れることは
今後ともないでしょうし、
トップライダーの側も、
参戦したいとは思わないでしょう。

80~90年代の八耐を知る我々には
寂しい話ですが、
経済合理性には勝てやしません。

あの時代が幸福な例外だった
と思うほかないでしょうね。

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